和凧の話

本プロジェクトは、日本の凧文化を永続させるために努力している製作者、コレクター、愛好者を紹介している。東南アジアの島々から中国や韓国を通って輸入された凧の歴史は、日本では8世紀に始まったようだが、黄金時代はもっと最近であり、江戸時代(1603-1868)から20世紀前半までである。

日本語では「凧」を指す言葉がいくつかある。今日もっとも使われているのは江戸出身の「たこ」で、次に使われているのは京都出身の「いか」である。どちらも海洋生物を指しており、この海洋バトルは、旧都の京都と新都の東京の競争を反映していて、東京と「たこ」が優位を占めているようだ。したがって、国際凧コミュニティでは、冗談として、時々日本の凧を「flying octopus」と呼んでいる。

日本人が凧について話す時に、しばしば強い子供のころの思い出が出て来る。高齢者の思い出は、お正月の休日や、5月5日の端午の節句、現在の子供の日に関連している。若者は、親と一緒に遊んだ時間を覚えている。凧はすべての世代をつなぐ。

日本人の記憶の中に凧が存在しているにもかかわらず、20世紀の後半以降、凧はもはや子供を引き付けない。この人気の低下には2つの理由がある。一つは、大都市で凧揚げのスペースがどんどんなくなっていること。もう一つは、子供たちは伝統的な凧より流行りのハイテクなおもちゃを好む。その結果、20世紀の後半には、プロフェッショナルの凧製作者の数が大幅に減少した。 前世紀の初めには、日本全土で数百の工房があったが、今日はわずか15件ぐらいしかない。そして、現在、一部の製作者は年を取って、死後に工房を引き継ぐ弟子もいない。これらの工房(最古のものは約200年間存在していた)の一部は、まもなく消えてしまうであろう。 私たちは、彼らの話やノウハウの一部を本プロジェクトを通じて知り得たことを幸せに思い、本プロジェクトが工房の継続につながることを望んでいる。


写真 清真美(写真家) 論文 Cecile Laly(研究者)


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